お釈迦様は、その死後、弟子達に私の死後、その供養を、こう遺言したといいます。
「お前たちは修行完成者の遺骨の供養にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向かって怠らず、勤め、専念しておれ。」


ですが、そうはいっても、結局お釈迦様のお骨は、手厚く葬られました。
2千年以上前のインドの方からしても、本当に大切な方のご遺骨ですから、大切に扱うのは当然だったのです。

仏教信者である国王達の力もあり、大切に塔に祀られたといいます。

その塔の回りには、お釈迦様をしたう信者達や僧侶たちの墓が並んでいたという発掘調査の結果もあると聞いたことがあります。

これは、日本のお寺とその回りにお墓がある風景にそっくりではないですか?
葬式仏教は間違いと言われていますが、そもそも大切な方のお骨をまつりたいと願うのは人情ですから、ある意味で、現在の日本のようなお寺とその周りにお墓という光景は、釈迦の死後からあったことになります。


そうはいって散骨も出てきた時代ですから、散骨したい、という方もいます。
ですが、釈迦は遺骨を弟子たちが祀っています。
遺された者としてはしっかりお墓を建てご供養する。
そういう供養の心もあると思いますよ。
時代の趨勢ですから、散骨される方もいます。でも、一部は手元に遺族のもとに残しておき、残されたという選択があっても良いと思います。
遺されたものにとってお墓参りの出来る幸せがあると思います。
お墓を祀ることにより、死者の尊厳、死体の尊厳、ひいては命の尊厳を、
次の世代に教え続けるという教育的側面もお墓にはあります。
色々な事情があるかもしれません。そのあたりは私にはうかがいしれないことがあります。

ですが、心にひっかかることがあるなら、御相談ください。