2015年9月20日日曜日

お墓参りはしなくてよいのか

「私はお墓参りはしない」

芸能人がテレビでこんなことを言ってました。

何故か、と聞くと、心のなかに故人はいるからだそうです。

私は心のなかにいる、というのは一面では正しく、
だからといってお墓参りをしないのは全く違うと思います。

どういうことかと申しますと、

仏教でも心で思うことを仏教では大事にします。

仏教には、「三界唯心造」という言葉があります。

この世の全ては自分の心があって、はじめて存在できるということです。

この心の働きが無ければ、外の世界を感じることもできませんから、故人だけでなく、私たちが感じる全ては私達の心が作り出すものでもあります。

そういった意味では故人が心のなかにいるという意味では私もそうだと思います。

ですが、心の中で故人を感じるということ、形でも故人を弔い行うということ、は矛盾しません。
心のなかで深く感じれば、それが自然と体を動かすこととなります(たとえば喜びが自然と、顔をほころばすように)。
仏教では、体と心は違うものではありません。一体のものと考えます。これを、身心一如ともいいます。

やはり、心の中にいるからといって、お墓参りをしない人より、
心の中にもいるけれど、お墓参りをする人のほうが、故人をしっかり大事に思っていることが多いです。それは、大事に思っていればこそお墓参りに行きたいと思うからです。

ただし、長期海外生活・体調などでお墓参りにいけない、そういうときは、

心の中やお仏壇でお弔いしても一向に構わないと、私は思います。


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