せっかくの機会ですから、戒名について知って頂ければと思います。

(ちなみに私はお通夜の席では戒名について必ずお話させていただきますが、
 しっかり説明させていただくと、皆様に良い名前で良かったと言っていただいております。
涙を流していただける方もございます。)

戒名というのは仏門に入ったというお名前です。

実は、戒名は昨日今日始まったものでなく、日本に仏教が伝わった時から
漢字二文字で、戒名を受けて出家しています。


日本では、はるか昔、出家する僧侶につけた名前が戒名のはじまりです。

そして、古代には、年をとったら引退して出家したりしました。

藤原道長ふじわらのみちながは、生前に出家した際の、お坊さんの名前
行覚というのが戒名だったのです。

まずは、日本あるいはアジアの歴史があり、1500年以上も仏門に入った証といして続いてきたのが戒名です。

本来は生前受けるものでしたが、死後に受けることができるようにもなりました。


名前が変わることへの違和感がある現代人

現代人は、人生の段階に合わせて名前が変わるということはありません。
しかし、明治以前は、特に人生の段階において、名前が変わるのは当たり前でした。

徳川家康の場合、
昔は小さい頃の名前(竹千代など)→成人してからの名前(次郎三郎・元信・家康)→引退後・死去後の戒名
(東照大権現安国院殿徳蓮社崇譽道和大居士 安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士)
と人生に合せて1人の人間でも名前を変えていくのが当たり前でした。

ですから、仏門という新たな人生の段階に入るにあたって名前が変わって当たり前という伝統のなかで
戒名があるのでしょう。
いわば戒名はそうした日本の名乗りを変える文化の最後の生き残りといえます。武田信玄・上杉謙信なども、生前、戒名を授かった後の名乗りです。大切にしたいと思った方は、ぜひ戒名をお受けください。

現代でも、最初から先祖が代々伝えたものだから、付けてもらって当たり前、そもそも代々のお墓のある方は疑問ももたないという方も多いようです。
あるいは、自発的に、大事な文化だから大事にしよう という方もいらっしゃいますし、

あるいは私のブログをみて、ほんの少しでも思っていただけたとすればうれしいと思っております。

※戒名料は高いからいらない、と思っている方、「信士・信女」といった普通の戒名の場合は、
当寺では戒名料はいただいておりません。

戒名をお授けするのにあたって(特別な位の御戒名をお望みの場合は別ですが)、皆と同じ普通の御戒名を授りたいと思っていただける方には、戒名を通じて、仏縁を多くの方に授っていただきたいと思っているからです。

戒名のお話はまだまだこのブログでも取り上げたいと思います。