という言葉があります。
梅は早春に開く、と読みます。
梅は春に咲く、ということです。
当たり前のことです。
ですが、道元禅師は、
梅は早春を開くと読みます。
禅の世界では、
梅が咲いたから春となる
と考えます。
気象予報士が春といった。春になった、だから梅が咲いたではないのです。人間が頭のなかで考えた春と名前を付けた概念が先にあるのではありません。
禅では、梅が咲いて、それがあちこちで起これば春がやってくる。
春という概念が先に来るわけではなく、梅の一つ一つが咲いたという具体的な一つの現象があり、それがあちらこちらで春という大きな現象となり概念となる。
ひとつの梅が咲くという事実、生命にまず重きを置き、春という大きな生命の動きを知る。
禅の真髄でしょう。
我々の一人一人の命を梅とすれば、それが社会にどう関わるのか。
大きな春という生命を作るのは梅という、ひとつひとつの命なのです。
毎年やってくる春という大きな生命の芽吹きの季節。
それをもたらすのは取り替えのきかないひとつの梅であり我々一人一人のかけがえのない命なのです。

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